マジか?! マカフィーってこんな人だったんだ(驚!

Windows 時代、どちらかと言うと僕はノートン先生派だったのですが、アンチウィルスソフトのもう一方の雄、McAfee の創始者:ジョン・マカフィーの人となりがあまりにも凄過ぎたので思わずポストです (・∀・)!!

まずはこのビデオを↓

最初見た時に、「エ? これがジョン・マカフィーなの? あの McAfee の??」
と思いましたが、紛うことなき本人でした。
ビデオは英語ですが、まぁ絵や雰囲気から伝わってくる通りです。

なにこれスゴい

思わずジョン・マカフィーについて調べたのですがウィキペディアには当たり障りのないことしか書いてありません、、
ググってみると良い記事を見つけたので紹介します。
以下、WIRED の「ベリーズに死す:IT業界の狂犬ジョン・マカフィーと頽廃の王国」からの引用です。

ベリーズに死す:IT業界の狂犬ジョン・マカフィーと頽廃の王国 « WIRED.jp

 

 

 

マカフィーは66歳。やせ形だが筋肉質で、ひじから手首にかけて血管が浮き出ている。髪はまだらに脱色され、肩から腕までタトゥーを入れている。

彼が25年以上前に創設したウイルス対策ソフトウェアメーカー、マカフィー・アソシエイツは、次第に人気を獲得していき、2010年には76億8,000万ドルでインテルに買収された。マカフィーはいま、ベリーズ本島から24km離れたところに所有する島のバンガローでひっそりと暮らしている。窓には日よけが下ろされており、わたしのところからは外に広がる白い砂浜もターコイズブルーの海も断片的にしか見えない。テーブルには弾薬の箱、マカフィーの写真入り偽造IDカード、熊撃退スプレーなどが積み上がり、なぜか赤ん坊のおしゃぶりまである。

マカフィーは床に落ちた弾を拾い、わたしを見た。「ここに弾がひとつあります」。ヴァージニア州での幼少期に染みついた南部訛りを隠さずに言った。

その後はベリーズで隠居していたようです

スクリーンショット_2013-06-20_5.54.40

 

「銃を置いてください」とわたしは言った。ベリーズ政府がマカフィーを私有軍組織とドラッグ貿易の罪で訴えているのはなぜかを知るために、わたしはここに来たのだ。テクノロジー産業で起業して大成功を収めた人が中央アメリカのジャングルに姿を消してドラッグディーラーになるなんてありえないと思っていた。しかし会ってみると、それもありうるかもしれないと思えてくる。

続いて彼の生い立ちが綴られています。

始まりは1983年

1983年はマカフィーの人生における岐路だった。カリフォルニア州サンタクララの情報ストレージシステム会社オメックスで、38歳にして彼はエンジニアリング部長を務めていた。そのころ、部下にコカインを売っており、自分でも大量に摂取していた。ハイになりすぎて集中できなくなると、クアルードを摂取した。デスクで睡魔に襲われると、さらにコカインを摂取して目を覚ます。彼は1日をきちんと過ごすことも満足にできず、午後になるとスコッチを飲んで頭の中の騒音を追い払おうとしていた。

彼の混乱ぶりは、いまに始まったことではない。道路測量技師の父と銀行窓口係の母のもと、彼はヴァージニア州ロアノークで育った。父親は大酒飲みで「いつも不機嫌だった」ため、マカフィーや母親をひどく殴ることがよくあったという。マカフィーが15歳のとき、父親は銃で自ら命を絶った。

 

成り上がり物語

1986年、パキスタンでふたりの兄弟が、初のPC向けコンピューターウイルスを書いた。彼らの目的は破壊ではなく、自分たちのつくったものがどれくらい広がるか知りたかっただけだったので、ウイルスのコードには自分たちの名前、住所、電話番号まで書き込んであった。ラホールにある自分たちのコンピューターサーヴィスショップにちなんで、彼らはウイルスを「ブレイン」と名づけた。1年ほどで、サーヴィスショップに問い合わせの電話が入るようになった。ブレインが世界中に広まっていたのだ。そのころマカフィーは正気に戻ってから4年ほど経っており、カリフォルニア州サニーヴェイルにあるロッキード社で機密扱いの音声認識プログラムを組む秘密取扱許可を得ていた。そしてブレインウイルスが米国で流行していることを『サンノゼ・マーキュリー・ニュース』紙で読んだのだ。

マカフィーはウイルスのアイデアを脅威ととらえた。当時何が起こっているかわかる人は誰もいなかった。マカフィーにとっては、幼少時代、父親に理由もなく殴られたこと、そして何もやり返せなかったことが思い出された。非合理的な攻撃を目にしたいま、何か行動を起こそうと彼は思った。

彼はマカフィー・アソシエイツをサンタクララにあった65平方メートルの自宅で始めた。彼の事業計画はこうだ。ウイルス対策プログラムを組んで、掲示板で配布する。ユーザーがそれに対価を払うとは思っていなかった。彼の真の狙いは、対策ソフトの重要性をユーザーが認識し、職場で導入するようになることだった。実際そうなった。5年ほどで『フォーチュン』誌のトップ100企業の半数がマカフィー製のソフトを導入するようになり、ライセンス料を支払うのもいとわなくなっていた。大した経費も初期投資もなくして、マカフィーは90年までに年間500万ドルを稼ぎ出すようになっていた。

 

しかし00年代後半になって引退の年齢が近づくと、彼は自らを欺いているように感じ始めた。クルマや飛行機などの資産はいつしか重荷となり、裕福な人の典型的な生活は自分に必要ないと気づいた。もっと飾らない生き方をすべきときだと感じたのだ。「ジョンは、いつも何かを探している」と当時のガールフレンド、ジェニファー・アーウィンは言う。マカフィーが「限界のその向こう」を探していると彼女に言ったのを覚えているという。

マカフィーは経済的にも痛手を負っていた。08年に経済崩壊が彼を襲い、それまでのようなライフスタイルを維持できなくなったのだ。09年までに400ha以上あるハワイの土地もニューメキシコに建設した私有空港も含め、所有していたものほぼすべてをオークションにかけた。そうすることで、財産を隠しもっているのではないかと疑われ訴えられるのを回避しようともしていた。彼は当時、ニューメキシコの敷地内で転んだという男性からすでに訴えられていた。ほかの裁判では、彼が設立した飛行訓練学校のレッスン中に飛行機が墜落して人が亡くなった責任は彼にあると申し立てられていた。そこで彼は、国外に出てしまえばやり玉に挙げられることも減るのではないかと考えた。もし裁判に負けても、国外に住んでいれば原告にとって資金回収が難しくなると知ってのことだ。

08年の初めごろ、マカフィーはカリブ海周辺に土地を探し始めた。彼の求める条件は至ってシンプルで、美しいビーチがある米国周辺の英語圏の国、というものだった。そしてベリーズのアンバーグリス・キーにある別荘を見つけた。

また、その後のベリーズでの暮らしぶりやベリーズ政府・警察に逮捕された際の記述に次のようなものがありました。

マカフィーと最後に直接会ってインタヴューしたのは8月のことだ。アンバーグリス・キーにある別荘でわたしを迎えてくれた彼は、上半身裸で銃を斜めにかけていた。警備員がビーチをパトロールしている。マカフィーはいま、5人の女性とともに住んでいると話してくれたが、彼女たちは皆、17歳から20歳くらいに見えた。

とか

彼は全米各地にあった別宅や10人乗りの飛行機など、所有していたものを09年までにほぼすべて売り払い、ジャングルの中に居を構えた。その砦がいま、攻撃されている。31人もの隊員が彼めがけてやってくる。応戦するには銃も人手も足りなかった。マカフィーがバンガローの中に戻ると、ベッドでは17歳の少女が裸のまま起きあがっておびえていた。

 

 

 

ちょww、 ジョン・マカフィーw、、 羨ま(ry

 

 

まぁ、それはさておきw

その後のベリーズでの半生等なかなか読み応えがあり面白いな〜と思っていたら、どうやらこの話、映画化されるようです。
見てみたい (・∀・)!!
————————————————————————————————-
僕の曲がご購入いただけます (・∀・)!!

スクリーンショット 2013-06-08 21.54.36 1曲 ¥150 です / $ 1.29 each